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はじめに / 房の歴史

タッセル 房作りという優雅な芸術は、ルネッサンス期に発展しました。当時の古典的で優美なフランス風 装飾品は、最高級の絹とウールを素材としたチェック模様の房に使われ、濃い赤と緑という特徴でした。多くの装飾品は、複雑な紐結びの豪華で紐の先に、さまざまな装飾品とモールとを付け カラフルな房糸 撚り房をつけて仕上げられていました。

 17世紀には、フランス王朝ルイ14世と その絶大な力を誇った王室は、壮麗なベルサイユ宮殿を含む壮大な建築計画を実行に移し始めました。これによって新たな富、審美眼そして華麗さを世に顕示する機会を与え、それは絵も言われない、すばらしいデザインをした房は、装飾品のアクセントとして必需品になりました。これ等は、貝殻や洋ナシの形の木玉(額、Head、胴の部分ちなみに下部分は、Skirtとも云う)を元に作られた。

 短くそして膨らみを持った房は、小さな房と色々の装飾品とで贅沢に飾られ、金や銀をふんだんに使った上、天然繊維のウールと絹そしてリネンの醸しだす美しいオリーブ、深紅、サファイヤそして黄色の光沢は、時代の豊かな装飾を更に盛り上げる事になりました。

 王位にあったルイ16世と評判が今ひとつの妻マリー・アントワネットの時代は、フランスの政治、社会そして装飾界で、混乱した変革期へ突入した時期でもあり、いくつかの戦争とルイ14世による浪費によって、フランスの財政事情は底をつくまでになって行きました。フアッションはより明るく、新古典調的な見栄えに変化して行った。その後、房は、より小さく、洋ナシの形をした房が多くなっていき、つやがあり、堅牢なクロム線が金と銀に取って変わって行ったのです。しかしながら、房の上部(木玉部分)は、可愛いらしい紐結びの渦巻き(ロゼット)やリボンのバラの花飾り、モール モチーフ等での花模様を取り付け、引き続き贅沢に彩られていきました。 

1789年の革命が始まってから苦難と暴力の時期が続き、政治の不安定さや社会的苦悩の時代は、、装飾芸術にも反映するようになり、等比数列的そして型に、はまった装飾組紐、細幅織物等は、矢や太鼓の形をした模様柄で争いの幻影を示唆し、徐々に軍隊の影響が見られる様に、なっていた。 
(現代の軍隊の装飾品は、この時代に出来ました。)

 ルイ・フィリップ(1830−1848)時代には、再度成長と繁栄を謳歌し、産業革命の動力化した機械の導入は、工場とその製品である織物,編物等に対し画期的な変化をもたらし、またエジプト綿(最上級の綿糸)の調達によって、縫糸にリネン以上のしなやかさをもたらす事となった。さて房の製造もまた、新たな市場、即ち、豊かで拡大するブルジョア階級の需要を満たすため機械化されていきました。

 しかしながら、手細工の房は、その豊かさとスタイルのシンボルとして残り、 金と銀は曲線への回帰とともに再度人気を博した。他方 他の房業者は,新たな色彩のコンビネーションを作りだし,またスタイルの多様化につながる装飾様式の紋様も、念入り作られる様になった。

 いろいろな形をした木玉の上部分に、真珠、鏡、円球、バラの花模様のリボンそして金属線の真鍮、銅等でのジャスミンの花スタイル等など、すばらしく飾り付けていった。

 服飾(フアッション)とアクセサリー(装飾)業界は、これら高価な房で贅沢に飾り付けられる様になっていきました。第二次帝国時代(1852−1870)のフランスは、貿易立国になり、かつ多くの植民地をアジア、アフリカに持っていた為、インドから高価なタサー絹(世界最高 現在輸出禁止)を輸入した。この絹は服飾品の装飾に使用可能な新たな繊維であった。この時期の楽天的生活様式や愛国主義者は、装飾紐や房飾り、そして細長いモール使用の房を使用される部分に反映される様になっていき、染色業界も染料が多量に生産できるようになり、新しい色 濃い赤、薄い紫、緑、青そして黒の房が生産され出しました。

 20世紀初期の職人たちは前世紀末の過度の装飾をやめ、軌道修正するようになり、
新たな芸術とも言うべきものが生まれてきました。優雅な曲線と自然な形状を強調した自然への回帰が、短期間ながら受け継がれて、やわらかい色合いの藤色、薄緑、灰色、茶をした 蔓、花環そして花びらの形をしたスタイルを材料として、人気を博くすことになった。

ヨーロッパのタッセル 伝統的な房が著しい変化を遂げていったのは,スカート(房の下部分)のスタイルであった。今迄は、これらは、装飾も無く簡素で直線的であるか、いくつかの細長いサティンで被われた木製の木玉部分(ヘッド)で構成されていたし、この時期には二色以上のふさは、あまり見られなかったのです。 
1884年にフランスの化学者ヒラリー・シャードネーは、天然の絹ともいうべきレーヨンを開発しました。これは、その新しい人絹糸が、多用途で実用的な繊維としての可能性を見っけ出した職人達は、いち早く受け入れられていき、革新的な装飾芸術は、科学による創造機会の時代へと受け継がれ、房の製造業者は、この人絹に新たな染色技術を加えることになった。クリスタルガラス、銅細工、銀細工そして木材などの風変わりな素材を使った幾何学的な形をした上部部分は、非対称の色合い橙と黒、強烈な青と緑とかの、大胆な色合いの新しい繊維 人絹で出来たモール(セニール)の下地であった。

 第二次世界大戦後には、この房業界は,その近代性の喧騒の中で、大量生産される電化製品、自動車、によって特徴付けられる様に、手細工品としての装飾品 房の人気が一時的にせよ衰える事となった時代です。
しかしながら、1980年代に至って、個人個人の特性(個性)、現代生活の質と卓越性への欲求から、その表現のために徐々に手芸品として復活が認められはじめました。

 
 
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